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飛脚による運搬

トラックやダンボールが無い時代の運輸手段の2つ目は、"飛脚"です。

五街道や宿場が整備された江戸時代になると、現在の郵便や電話の役割を果たす職業として飛脚が登場しましたが、届ける郵便や荷物の依頼主の地位によって"継飛脚"、"大名飛脚"、"町飛脚"の3種類に分かれていました。

"継飛脚"は幕府の公文書や御用物専用の飛脚で、各宿場の問屋場には常時飛脚が駐在していましたが急を要す書状や荷物で、一刻も早く届けないといけないことから荷物を担いで走る飛脚と暗い夜道を照らす提灯を担いで走る飛脚の2人1組で昼夜を問わず走り続けていました。

当時の関所は通常、夜間に通過することは禁じられていましたが、継飛脚だけは特別に通行許可が下りていたようです。

"大名飛脚"は、各地の大名が国元と江戸藩との連絡を取り合うために設けた私設の飛脚で、それぞれにそのしくみは異なりますが中でも東海道七里ごとに人馬継ぎの小屋を設けた尾張・紀伊藩の"七里飛脚"などは有名です。

"町飛脚"は一般の武士や庶民が利用することのできる飛脚で、毎月2日、12日、22日の3度、江戸、大阪、京都間を往復していたので"3度飛脚"、"定飛脚"とも呼ばれていました。

明治になると、近代国家をつくって産業を育てるには誰でも利用できる郵便制度必要であると考えられるようになり、政府はイギリスの郵便制度を参考にした新式の郵便制度を創設しました。

これによって江戸幕府時代の飛脚制度は廃止され、職を失った彼らは結束して陸運会社を設立していきました。

現在飛脚のマークで有名な大手運送会社の創始者も、このうちの一人です。

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