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大八車による運搬

トラックやダンボールが無い時代の運輸手段の3つ目は、"大八車"です。

江戸時代から昭和の初期にかけて荷物の輸送に使われてきた"大八車"は、二つの車輪をもつスノコ張りの車体で、1人~2人が前に行って車を引き、さらに後ろに何人かついて車を押したり、牛に引かせたりして、主に木材や石、米などの重い荷物の運搬に使用されてきました。

"大八車"という名前の由来には、さまざまな説があります。

よく言われるのが、この車が"代八車"と書かれることもあるように人であれば8人かかってやる仕事を代わりに1台でこなせるからとか、車軸から支えるための棒が8本出ていることから名付けられたとか、長さが1丈(約3m)のものを"十代"、9尺(約2.7m)のものを"大九"、8尺(約2.4m)のものを"大八"、8尺以下の車を"大七"と呼んでいたからとか、かつて滋賀県の大津市の八町で使われていた"大津八町の車"が"大八車"と略されるようになったなどですが、地方によっては平安時代から使われてきた"牛車"を牛車大工の"大八さん"が発明したからだと伝えられているところもあります。

このように多くの説があるということから、大八車は多くの庶民の生活に密着していたものであったことが分かります。

また、1657年に江戸で起こった明暦の大火後の復興作業に必要とされた、木材や土石などを運搬するために開発されたと言われていますが、その数は100年後には江戸だけで約2000両に増え、台数が増えるにしたがって交通事故も頻発したために、徳川6代将軍家宣の時代には、"積載制限令"や"駐車制限令"、それに"交通基本法"といった法律も施行されています。

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